長崎

煮干しの歴史

煮干し

煮干しの歴史は非常に古く、今から約1300年前の飛鳥時代の文献に、煮干しの原型となる加工品が朝廷への献上品として貢がれていた記録があります。生乾きの状態の「いわし煮」の名称で文献に記載されていますが、遠方の地方から朝廷に献上する際、長時間の移動が必要なため、地方で乾燥させた水産物を献上していたようです。

しかし、記録が残っていないだけで、煮干しのような加工品は、おそらくそれ以前から存在していたようです。比較的漁獲が容易な小さな魚を、鮮度低下を防ぐために煮た後に天日干しして保存食にするだけであれば、技術的にもそれほど難しくないためです。

一方で、イワシを味噌汁にして食べるようになったのは室町時代ぐらいのことだと言われています。ただ、当時はイワシのつみれ汁のように、味噌汁の具として食べられていたようで、煮干しでダシをとった後に取り除くような調理法ではなかったようです。

現在の煮ぼしに近い物の生産が始まったのは、18世紀初頭に、製塩が盛んでイワシの獲れる瀬戸内海地方だと言われています。

煮干しは、西日本を中心に生産、流通、消費をされていましたが、東日本で消費されるようになったのは明治時代です。関東では、明治28年の千葉県の資料に煮ぼし2トンの生産記録があり、それ以前には煮ぼしに関する記録はありません。

その後、煮ぼしの生産量は増加し、昭和17年には全国で9万2千トンとピークを記録。この年の魚類総水揚げ量の14%を占めるほど、煮ぼしは最大の水産加工品になりました。

現在、煮干しの全国最大の生産地は長崎県ですが、近年は原料となるカタクチイワシの漁獲量が以前に比べて減っています。

(参考資料)「食と健康の総合サイト e840.net